中国遠征その1 パート2 大久野島


大和ミュージアムが長くなってしまったので、2つに分けて。
昼食を広で済ました後は竹原市に移動して、今回のメインの1つである大久野島に向かった。
妙に道路が混んでいて時間がかかってしまったが、実は呉で殺人事件があったらしい。



大久野島は旧軍時代に砲台が設置され、砲台撤去後は毒ガス工場が置かれていた島だ。
毒ガスの事は機密だった為、「地図から消された島」と呼ばれていたそうだ。
戦後、施設は廃棄されて毒ガスも処分されてしまったが、現在は国民休暇村として整備され、当時の施設や要塞跡も公園になっているというので是非一度見たいと思っていたのだ。



フェリーに揺られる事数分、島の第2桟橋に到着するとまず迎えてくれたのはウサギの群れ。
そう、大久野島は別名「ウサギの楽園」で、人に慣れた野生のウサギがあちこちにいるのだ。
(ウサギの楽園・大久野島を紹介したホームページ)
何かほっこりさせられて、気合いが入っていたのがなんか緩んでしまった。



気を取り直して早速島内に向かう。
島は周囲3キロ程なので、歩いてでも1時間もあれば一周出来てしまうのだ。
いきなりそれっぽいトンネルが出迎えてくれて、早くも心が加速していく。



まず向かったのは「発電所跡」。
中には入れなかったが、外から見ても凄い存在感だ。
夏場は緑が覆っているらしいが、冬なのでいい感じに廃墟っている。



そのまま歩いて北上すると、次に現れたのは「火薬庫跡」。
こちらも植物だらけだ。
ちなみに、写真を撮っているとウサギさんがいっぱい寄ってきて餌をねだるので、何度もはにゃーんとなってしまった。



「北部砲台跡」。
結構綺麗に整備されていて、砲台跡と言うよりは普通に公園ぽかった。
ちなみに最北端の「点火試験場跡」は工事中で見られなかった



次に向かったのはある意味ここのメインである「長浦毒ガス貯蔵庫跡」。
かつては毒ガスをため込んでおく巨大なタンクが置かれていたらしい。
戦後、米軍の指示で焼却処分されたが、その時に火炎放射器が使われていて壁が黒く焼け焦げているのが生々しい。



次に島の中心部にある「中部砲台跡」に向かったのだが、北側からだと急な山道を登っていかねばならないので結構たいへんだった。
(南側からだと整備されたサイクリングロード経由で行ける)
しかし、中部砲台跡はここでは一番規模の大きい戦跡で、見晴らしも良く、なんか「ここまで来たぞ」的な達成感を得る事が出来た。



その後もちょこちょこと様々な遺構を見て廻るうちに、帰りの船の時間が迫ってきたので来た時の桟橋に戻り始める。
途中、お休み中の「毒ガス資料館」を見かける。
今度は開いている時に来たいものである。



何とかフェリーにも間に合って、大久野島を後にして再び竹原の忠海港に向かう。
正直、もう少し時間を見ておけば良かったと思ったが、それでも大体の場所は見て回れたのでまあ良しと言う事で。


船上からは瀬戸内の海に沈む綺麗な夕陽が見られた。
ああ、2013年最後の陽が沈んでいく。
今年も色々あったが、最後の最後に凄い経験が出来て満足の一年であった。
30日の走行距離 650.9キロ、聞いた曲数 121曲。
本日の走行距離 128.6キロ、聞いた曲数 50曲。