四国遠征その4パート2 マイントピア別子・他


長くなってしまったので2つに分けて。
午後からは今回の遠征最後の訪問地となる「別子銅山跡」へと向かう。
別子銅山は江戸時代から300年近く銅を産出し続けた銅山で、現在は跡地を利用した「マイントピア別子」という観光スペースとして利用されている。
まずは「東洋のマチュピチュ」と称される、当時の施設や遺構が数多く残っている「東平ゾーン」に向かうことに。



新居浜の中心地を外れ、峠道を登って快適にドライブを続けていく内に、辺り一面は雪景色になっていく。
一応道路は除雪されているのだが、夏タイヤでは心許ない状況に心配しながら走っていくと、あと少しという所で「通行止め」の看板が!
なんとっ、この時期は「東平ゾーン」は雪で閉鎖されていたのか! ←ちゃんと調べておけよ



仕方が無いので雪が残る下り道を気をつけて走りながら麓に戻り、道の駅と観光施設が一緒になった「マイントピア別子」に向かう。
ここは鉱山跡地を利用したテーマパークで、前に行った栃木の「足尾銅山観光」みたいな感じだった。



なんかいきなり水樹奈々の写真が!
そうか水樹奈々は出身愛媛だもんなーとか思っていたら、なんと観光ゾーンの一部ナレーションも彼女が担当しているらしい。



入るなりあたりに響き渡る水樹奈々ボイス。
暗い銅山への坑道を進む過程とのミスマッチが、何か不思議な気分にさせてくれる。
これで東洋のマチュピチュが、自分の中でいきなり萌えゾーンへと昇華されていったのであった。



足尾銅山観光では実物大のマネキンを多数配置し、当時の銅山の活気を再現していたのに対し、マイントピア別子の方はミニチュアや照明の趣向による「洞窟アート」に近い内容なのが面白かった。
最近のデジカメは暗くてもちゃんと撮れるので、まるで地底王国のような写真が色々撮れて面白かった。



観光坑道を出ると、こちらの施設内にも何カ所か当時の遺構が残っているのを見る事が出来た。
上は第四通洞へ向かう為の「四通橋」で、下は水力発電所だった建物だ。
「東平ゾーン」は残念だったが、またいつかリベンジしようと心に誓い、マイントピア別子を後にする。



最後の最後に折角なので、新居浜の郊外にある「別子銅山記念館」に立ち寄る。
ここは銅山を運営していた住友グループの協力で建てられた歴史館で、撮影は禁止だったが展示内容も展示の仕方も秀逸で、意外にも非常に楽しめてしまった。


その後は徳島まて移動し、最後の一泊。
明日はひたすら帰るだけなので、四国で過ごす夜もこれが最後だ。
晦日に突然決意した四国遠征であったが、取り敢えず紫電改と四国の現存12天守4城、犬島と別子の遺構も見られ、駆け足ながら非常に内容の濃いものとなった。
またいつか訪れて、その時はのんびりとドライブしたいものである。
本日の走行距離 226.1キロ、聞いた曲数 51曲。


※おまけ 最終日

帰りは「神戸淡路鳴門自動車道」経由で一路東京を目指し、途中休憩を挟みながらも無事に帰宅。
最終日の走行距離 734.2キロ、聞いた曲数 126曲。
四国遠征時のトータル走行距離 2,180.7キロ、聞いた曲数 416曲。