丸岡城・佐久間記念交流会館・葦谷砲台跡・他


遠征2日目。今日はあの「現存12天守 」の1つである丸岡城を始め、悲劇の第六潜水艇殉難で知られる佐久間勉艇長の遺品等を公開している佐久間記念交流会館等に行って来た。



世間では今日から本格的に連休後半戦なのだが、関東では季節外れの大雨で、テレビもその話題ばかり。
正直今回の遠征はダメかなとか思っていたのだが、敦賀で迎えた朝はどんよりではあるがなんとか雨は降らずの天気だった。
そこで舞鶴に向かう前にちょっと寄り道して、前から行きたかった丸岡城に行くことに。丸岡城は、安土桃山時代に建造され、現代まで保存されている天守(完全にでは無いが)で、国の重要文化財でもあるのだ。
敦賀からは高速に乗って行ったのだが、流石に昨日とは違い結構車が多く、丸岡城も着いた時には既に駐車場は満車であった。



冒頭の記念写真を撮った後は、早速城内を見学する。
天守上部に登る階段(殆どハシゴ!)が急な為、女性や年配の方が登るのに難儀していて、上まで上がるのに結構時間がかかってしまった。
しかし、石垣も風情があるし、佇まいも落ち着いていてなかなか良いお城であった。



丸岡城を後にして昼食を済ました後は、福井県三方上中郡にある「佐久間記念交流会館」に向かう。



佐久間勉艇長とは1910年に起きた「第六潜水艇」の遭難で殉職された海軍の軍人だ。
航行中の潜水艇のトラブルで絶望的な状況にあいながらも、最後まで冷静さを失わずに職務を全うした姿は、その当時多くの人達に感銘を与えたのだ。
自分も呉で遭難時の佐久間艇長の遺書を見た時に凄い衝撃を受け、今回の舞鶴遠征では是非寄ろうと思っていた訳なのである。
街外れの閑静な場所にあるせいか、自分以外は来訪者もおらず、じっくりと展示品を見ることが出来た。



会館は佐久間艇長の生家の敷地内にあり、他にも艇長のお墓や、艇長を奉ってある「六号神社」などがある。
また、毎年事故のあった4月15日には追悼式も行われているそうだ。
たまに小雨が降ったりするが、傘が無くてもなんとか大丈夫な天気で、色々と見て回ることが出来た。



佐久間記念交流会館を後にして、いよいよ舞鶴に向かったのだが、予定より早く到着出来たので、宿の近くにある「舞鶴引揚記念館」にも立ち寄る。
舞鶴は戦後、軍人や民間人の引揚指定港になっていたため、その関連資料を展示する施設として設立されたのがこの記念館なのだ。
舞鶴引揚記念館のホームページ



ここで一番衝撃的なのが「シベリア抑留」を紹介したコーナー。
その凄まじいまでの悲惨な実態は、あまりにも辛くて涙が溢れてくる。



引揚者の搬送に当たった船の模型も展示してあったのだが、その中に「こじま」の姿もあった。そう、元の旧軍の海防艦「志賀」だ。
千葉市さえちゃんとしていれば、今頃は…。



最後は「岸壁の母」の歌で一躍有名になった、復元された「引揚桟橋」に行く。
自分も幼い頃は、父から二葉百合子の歌を良く聞かされていた為、いざその現場に立つと色々と感慨深くなるのであった。



気が付けばもう5時。そろそろ日も暮れそうなので、ここで宿に向かえば良かったのだが欲張ってもう1カ所見に行くことに。
あの舞鶴要塞の1つである「葦谷砲台」を見に行ったのである。



実は舞鶴には軍港が出来た頃から周りに何カ所も砲台が造られており、場所柄その多くが殆どそのままの姿で残っているのだ。
本当なら遺構巡りでも何日か過ごせる程数があるのだが、今回は取り敢えず1つだけで見ることにしていたのである。
葦谷を選んだのは比較的アクセスしやすいと聞いていたのだが、実際に行くと結構急な山歩きで、歩くの苦手な人には辛い行程であった。



そろそろ日も暮れるかという時間にようやく葦谷砲台に到着。かなり凄くて、まさに遙々来た甲斐があったというものであった。
本当はもう真っ暗なのだが、流石はデジカメで結構明るく写っているので感動した。


その後は下山して本日の宿に向かうも、流石に山歩きで疲れてブログの更新は次の日になってしまうのであった。
本日の走行距離 276.4キロ、聞いた曲数 57曲。